さようなら、魚にホワイトソースをかけた白米との相性が抜群のやつ。

きょうは「スーパー別れデー」だ。

これを書いているのは2021年3月31日の夜。別れの季節と言われがちな3月の最後の日だ。つまり「スーパー別れデー」なのである。ちなみに4月1日は「スーパー出会いデー」だ。

なにはともあれ、きょうは「スーパー別れデー」なので別れについてブログを書かなければいけない。

「別れに希望を持つ」という逃げをやめたい。

別れにもいろいろ種類があって、卒業みたいな不可抗力で訪れる別れではなく、自分から起こす小さな別れもある。

あなたも心当たりがあるかもしれない。ダイエットを始める時に牛丼を完全に禁じたり、生活習慣が乱れた時にゲームを二度とやらないと誓ったり、そういうやつ。これを僕はやめたいのだ。

ついつい別れてしまう原因はいろいろあって、「完全に別れるぜ!!!」って決心すると、その日は強くなった気がするし、気持ちよくなれるからでしかない。

だけど、現実はそんなに甘くない。牛丼をそんなに簡単に禁じられるならばもっと早くダイエットは成功していただろうし、毎朝7時に起きて10時には床につく健康優良児になっているはずだ。

「またやってしまった…」

三日前に別れを告げたはずの「夜に食べる白米」と感動の再会を果たしつつ、自責の念に駆られていた。

自責の念に駆られているが、箸を進める手は止まらない。食卓に並べられた「魚にホワイトソースをかけた白米との相性が抜群のやつ」に手を伸ばしたその瞬間─僕の意識は10年前、6年1組の教室にタイムスリップした。

「教室、なんか臭くない?」

その日の授業がすべて終わり、帰りの会を待つ間に誰かが言い出した。確かにちょっと生臭い。ちょうど「魚にホワイトソースをかけた白米との相性が抜群のやつ」を煮詰めて濃縮したみたいな匂いだった。

教室はちょっとざわついたけど、担任の先生が入ってきたことですぐに静かになった。良くわからない「地域の催しについて書かれたプリント」をランドセルにグシャッとしまったり、朝に提出した音読カードを受け取ったりしていたら、生臭さは脳から消えていった。

帰りの会が終わり、図書室に本を返しに行く用があったのでそれを済ませる。ランドセルがやけに軽い。中を確認すると、国語の教科書が無い。音読の宿題があるのでそのまま帰るわけにはいかない。

しょうがないのですぐに誰もいない教室へ走る。あった、机の上に置きっぱなしだった。さて、カバンに入れて帰ろう。異変に気づいたのはその時だった。

「臭っせぇ!」

一人で叫んでしまった。一人じゃなかったら叫ばなかっただろう。

教室が臭かったのだ。

今の小学生が嗅いだら、「くっせぇ〜くっせぇ〜くっせぇ〜わ!」って歌い出すことが確信できるくらい臭かった。

どうしよう、この異臭をほっといていいのだろうか。迷ったが、特に周りに変なものはない。教室は綺麗に掃除されていた。諦めて帰ろう。

「あれ、何してるの?」

先生が入ってきた。どうやら出席簿を机に忘れていったらしい。

「教室、臭くないですか?」

一人では抱えきれない臭さを共有できる相手を見つけて、僕は安心しながら問いかけた。

先生も臭いことには同意のようだった。「魚にホワイトソースをかけた白米との相性が抜群のやつ」を煮詰めて濃縮したみたいな匂いが充満している。だが、匂いの発生源はわからない。真っ暗なジャングルで獣に囲まれているような気持ちだった。

「廣田くん、あれって…」

先生が静かに指を差す。その先にあったのは藤原の机だった。藤原はクラスの人気者で、スポーツも勉強もできるやつだった。そこで僕も異変に気づく。

僕のクラスの机は中に青い箱を入れて引き出しにするタイプのやつだった。しかし、藤原の机の茶色い木の面の下にはあったのは、青ではなく真っ白。

先生がおそるおそる引き出しを開ける。パンドラの箱とはこういうことを言うのだろう。出てきたのは汁、汁、汁。白い汁。パンドラの箱なら最後には希望が残っているらしいが、奥から出てきたのは鮭の切り身であった。

「やばい、やばい。」

何も言葉が出てこなかった。

藤原は給食を食べるスピードは遅めだった。周りの友達と喋っていたからである。そしてある日、時間内に完食できずに机に隠すという最後の手段に出たのだろう。昼休みにみんなが遊ぶ中でも給食を食べ続けることは避けたかったはずだ。

ちなみに焼き鮭は1週間前のメニューだったし、牛乳も賞味期限がきれていた。

その後、職員室から大きなゴミ袋を持ってきた先生とともに、机の中で熟成調理された鮭のムニエルを片付けた。その日のことは墓場まで持ち帰る約束になった。袋の口を閉める瞬間、鼻を突き刺したあの臭いは、今でも忘れられない。

そして現在。大盛りの白米を食べながら僕は思う。

「完璧な人間なんて、どこにもいない」

あの藤原さえ、給食を食べれず隠していた。僕が完全に白米と別れられるわけないじゃないか。

そもそも、僕は別れを美化しすぎだ。このブログでも特盛牛丼との別れを良い話ふうに長々と書いていた。結局食ってるじゃん、特盛牛丼。

結局、何かを完全に断つと決意した自分に満足しているだけなのだ。本当に強い人間は白米の量を律するし、適度にゲームをやる。それが目指すべき姿のはずだ。

2020年度は、コロナもあって、パンドラの箱をひっくり返したような災厄の年だった。やりたいことができなくて、伸び悩んで…人との距離ができたからこそ、別れで自分を強くしようとしていた。だけどどうやら間違ってたっぽい。

もうすぐ出会いの季節がやってくる。2021年度は大学生活最後の年だ。いろんなものに出会って、触れて、熱中して、上手に付き合っていく。そんな一年にしたい。

パンドラの箱から最後に出てくるのは、希望のはずだ。

(おわり)

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