自販機で水を買えなかった話。

人間は、常に同じ人間と争いながら歴史を刻んできた。

仕事でも、勉強でも、スポーツでも、人は常に誰かと争う環境に置かれている。時にその争いは、国家レベルでの戦争になり、人がたくさん死ぬ。多くの犠牲を払ったことを一度は反省するが、性懲りもなく同じ過ちを繰り返す。人間はそういう生き物なのだ。

そんな人間の争いの中で大昔から行われてきたもの。

それは「水」を巡る争いである。

人間の食糧確保手段が狩猟から稲作になり、水はその重要性を増した。水を持てるものがその土地を支配し、水にありつけないものは死んでいった。

……………

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……

時代は移り変わり、令和時代、日本。近年は成長が止まっているものの先進国として名を連ねるこの国で、水に困ることは基本的にない。

ない、はずだったのだ。

その日僕は、東京のとある繁華街にある商業施設にいた。買い物をするうちに喉が渇いた僕は自動販売機に硬貨を流し込み、130円の水を買うことにした。自販機のボタンを押し、出てきた水を取るため腰をかがめ─水が取り出し口に落ちてくることは、とうとうなかった。

自販機のボタンを押しているのに商品が出てこないなんてことが想像できるだろうか。僕にはできない。現代日本、しかも東京にいるのに…僕は水にすらありつけなかった。これが本当の東京砂漠ということなのか。たぶん違うと思う。

水が出てこないという衝撃で、少し混乱してしまった。状況を整理する。

130円を支払った。でも何も得られなかった。それだけのことだ。文字にすると大したことはない。ただ、130円を吸われたという結果だけが、そこにはあった。

一応ボタンをもう一度押してみたりする。当たり前だが水は出てこない。

自販機は、目の前で呆然とする僕を尻目に次の客を受け入れる体制を完璧に整えている。僕は本当に今お金を入れたのだろうか?実はまだお金を入れていなかったんじゃあないだろうか。そう思えてくるほどに、自販機の立ち振る舞いは堂々としていた。

「なぜ、自動販売機から飲み物が出てくると思っていたのだろう」

水が出てこないことの困惑は消え、水が出てくることが当たり前だと感じていた自分が恥ずかしくなってきた。僕は「自動販売機はお金をいれてボタンを押せば飲み物が出てくる」という常識に甘えていたのだ。

自分が「常識」だと思っている何かに囚われて、それに裏切られた時に戸惑うことはよくある。

コンビニの店員の態度が悪かったとか、電車が定刻に来なかったとか。よく怒っている人を見る気がする。でも、最低賃金で働くコンビニ店員の態度がいいことも、過密なダイヤでは走っている電車が定刻通りにやってくることも、当たり前なんかじゃなく、すごいことだ。

すごいことに慣れすぎたあまり、求める水準が高くなりすぎて、ちょっと気に食わないことがあるとイライラしてしまう余裕のない社会になってしまっているのだ。きっと日常的に自販機から水が出てこない社会なら、コンビニ店員にも、駅員にも怒りをぶつける人は減るような気がする。

影響はネットにも出ていると感じる。インターネットは地獄だ。みんな何かに怒ってて、それを誰かにぶつけて発散している。コロナ禍になってからは特にみんな怖い気がする。必要以上に怒っている人が多い気がする。

だから僕は、余裕を持ちたい。130円入れて水が出てこなくても「ワロタ」で済ませられる人間に率先してなっていきたい。もちろん差別やハラスメントみたいな、「怒らなければいけない場面」ではちゃんと怒るけど、それでも相手への言い方とか、思いやりを持った話し方とか、そういうのを考えていかなきゃいけないと思う。これを読んでいるあなたも一緒に頑張ってくれたなら、僕はとても嬉しい。その積み重ねが、世界を平和にするに違いない。

そんなことを考えながら、僕はコンビニでお茶を買った。

この流れだと水を買いそうだが、熱中症予防には水よりも麦茶のほうが良い。ミネラルが豊富でもろもろ良い感じだとどっかで聞いた。店を出て、キャップをあけ、液体を飲み干す。渇いた砂漠に、ミネラルたっぷりの麦茶が染みこm…

「烏龍茶?」

そう、僕は間違えて烏龍茶を買っていたのだ。

某コンビニのお茶は最近パッケージが変わり「茶」という文字だけなぜかめちゃくちゃデカくなったので判別がつきにくかったのだ。せっかくの水分補給のための麦茶だったのに、カフェインの入った烏龍茶では利尿作用でむしろ水分が出てしまう。

僕は即座にスマホを開き、コンビニの批判をツイートした。

人間は、繰り返す生き物なのだ。

(おわり)

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