カロリーメイト・コンプレックス

カロリーメイトに劣等感を持って生きてきた。

初めて出会ったのは小学生時代。地域の野球チームに入っていた僕は、毎週日曜日が練習だった。

お昼になると土手にドカッと座り、おのおのが袋からご飯を取り出す。僕もいつも通り梅おにぎりを取り出し、包装を外そうとした。その瞬間、目を疑うような光景が飛び込んできた。

「なんだその黄色い箱…」

みんながおにぎりかコンビニのパンなのに、1人だけ黄色い箱。持っていたのはさとるというやつだった。さとるは箱の中から1本のブロックのようなものを取り出して食べ始める。

その物体がなんなのかさとるに聞くと、特に気取る様子もなく「カロリーメイトだよ」と教えてくれた。

そんなすごいものを持っているのに、なんで平然としていられるのだ。

1人だけカロリーメイトを持つさとるの姿を見て感じたのは純粋な憧れではなく、どちらかというと寂しさだった。おにぎりしか知らない僕たちを置いて、さとるは一足先に大人の世界へ行ってしまった。そんな気持ちだった。

それからさとるはいつもカロリーメイトを食べていたし、その度に僕は羨ましさと寂しさを感じていた。

たぶん、僕の親だってカロリーメイトくらい買ってくれただろう。だが、「カロリーメイトを小学生が食べたがる」ことが大人ぶってるみたいで恥ずかしくて、買ってほしいと言い出せなかったのだ。

カロリーメイト・コンプレックス

大人になれなかった僕は、中高時代にも昼や放課後にカロリーメイトを食べているやつを羨んでいた。

名誉のために書いておくと、僕は一度もカロリーメイトを食べたことがないわけではない。なぜか家にあったり、友達がお腹いっぱいで1本しかいらないからと分けてくれたりしたことがあったので、食べたこと自体はある。めちゃめちゃ美味かった。

だが、あくまで特別な時にしか食べてはいけない。普段から食べるなんてとんでもないと思っていた。

今考えればおこづかいでカロリーメイトを買えばいいだけの話なのだが、僕の中ではもはやカロリーメイトが神格化され畏れ多い存在となっていたので、おいそれと手を出すことができなかったのだ。

まあ意味がわからないと思うのでどこら辺が神なのか説明する。あくまで小中学生時代の僕が持っていたイメージであり、事実とは限らないことは許してほしい。

カロリーメイトの畏れ多いポイントは3点。ひとつめは値段だ。他の栄養補給バーは100円ほどで買えるのに、カロリーメイトは200円くらいする。なぜこんなにも高いのか。その答えがふたつめのポイント。

そう、カロリーがやばいことである。

正確なカロリーはまったく知らないが、なんせ名前が「カロリーメイト」だ。カロリーの友達だぞ?ヤバいに決まっている。1本食べたら1日の摂取カロリーの半分は取れるに違いない。

そしてみっつめが美しい箱とフォルムだ。どこか温もりを感じる黄色の箱から現れる魅惑のブロックは、他の追随を許さない美しい形をしている。僕が黄金比を設定していいのなら、カロリーメイトの寸法を黄金比とするだろう。そのくらいあの形、大きさ、色味はバランスが取れていて美しかった。

このようなイメージから、カロリーメイトは簡単に食べていいものだとは思っておらず、100円ちょっとで買える栄養補助バーをよく食べていた。

そうして僕は、「まだカロリーメイトを食べるようなレベルの人間に成れていない」「カロリーメイトを買うのはもっと重要な時であるべき」「カロリーメイトをカロメと略す人間は信用できない」と謎の自意識過剰?な状態に陥り、カロリーメイトを普通に食べる人間・カロリーメイターに劣等感を抱く謎の人間に成り果てたのだ。

そして時は流れ2021年。大学4年生になった僕はカロリーメイトへの畏怖も忘れて歩いていると、こんなものを発見した。

カロリーメイトの自販機である。こんなの初めて見た。約10年この駅を使っているはずなのだが、全く気づかなかった。

丸い筒を仕切った部屋にカロリーメイトが鎮座している。どうやって出てくるのかもわからない。ちなみにカロリーメイト専用というわけではないようで、下の方には別の商品が置かれていた。

「時間がなくて朝メシ食べられなかったし、買ってみるか」

210円を投入しプレーンのボタンを押すと、窓の右側がスライドして開いた。構造に感心しながらカロリーメイトを取り出す。少ししたら窓は閉まり、内部が反時計回りに回転、次のカロリーメイトが、僕が買ったカロリーメイトがいた場所で止まった。面白いシステムだ。

箱の中にはふたつ、金色の袋が入っていた。それぞれに2本のブロックが入っているので合計で4本入っているということになる。1本袋からひっぱり出して口に放り込んだ。

「あれ…?こんな味だったっけ…?」

驚いた。思ったより味が薄めで、思ったよりパサっとしていた。

美味しくないと言いたいわけではない。ただ、イメージと全然違ったことにショックを受けたのだ。僕の中の「理想のカロリーメイト像」は十数年の時を経て増大し、100円栄養補助バーの濃い味イメージに引っ張られ、最後は勝手に裏切られただけなのである。

さらに悲しいことに、口の水分がほぼ持っていかれてしまった。飲み物は持っていない。

困ったな、あと3本もあるぞこれ。2本はもうひとつの袋に入っているので問題ないが、1本は食べるしかない。乾いた口の中に放り込む。

「あれ、美味いぞ??」

美味いのだ、口の中に水分がない方が味がダイレクトに感じられるからだろうか、めちゃめちゃ美味い。むかし食べた時も運動後だったり疲れている時だったりと水分が今より少なかったのかもしれない。よくわからないが、やみつきになってしまいそうだ。

我慢できずにもうひとつの袋も破り開け、口に放り込み咀嚼する。美味い、美味すぎる…!

気づけば、4本全てを食べ切ってしまっていた。ヤバいと分かっていながら己を止められなかった。

これは困ったぞ…いま僕が食べ切ったのはカロリーメイト=カロリーの友達なのだ。1箱全て食べ切ってしまったということは、2400キロカロリーくらいとってしまったのではないか。非常にまずい。

ただ、現状を把握しないわけにもいかない。昼夜も何も食べないわけにはいかないので、恐る恐る裏面の成分表示を見ると…

【4本当たり エネルギー 400kcal】

???????????????????

僕は脳内が大量の?で埋め尽くされた。「1本食べたら1日の摂取カロリーの半分は取れるに違いない」と考えていたのに、4本食べても400kcal?そんなことあるのか???カロリーの友達だぞ???

そこで僕はある事実に気づく。カロリーメイトはあくまで「カロリー」ではなく「メイト」なのだ。友達がカロリーなだけで本人はカロリーではないのだ。実際、カロリーメイトにはビタミンや五大栄養素なども豊富に入っていて、カロリーを摂るためだけのものではないようだった。

カロリー過多にならず救われた気持ちと、カロリー過多になれないことへの裏切られたみたいな気持ちがまぜこぜになった。そもそもなぜあそこまでカロリーメイトに畏敬の念を抱いていたのか?

たぶん、カロリーメイトについて知らなかったからだろう。

カロリーメイトは超高級で、莫大なカロリーが内包されていて、めちゃくちゃ美味しい。そんなイメージだけでカロリーメイトを理解したつもりになっていたから、無駄に大きな劣等感を感じることになったのだ。

中身を知ろうとせず、イメージだけでわかった気になって損をすることはよくある。

名前が惹かれないから頼んだことがなかったメニューがめちゃくちゃ好みだったり、苦手だと思っていた人と食事をしたらすごく仲良くなれたり…先入観なんて本当に当てにならない。

日々、社会で争いになっていることも同じだ。知らないこと、理解しようとしないことが原因だということは少なくない。完全に分かり合えなくても、知ろうとすることで今より良い世界が訪れるはずだ。

いつだって新しいことを知るのは怖い。コロナによる不安で保守的になる今の時代はなおさら怖い。

だけど、新しいことに目を向けて前に進むことこそが、真の幸せにつながっているに違いない。成分表示を見ることで、未知の世界の扉が開き、気づきを得ることができたのだ。

ありがとう、カロリーメイト。いや、親しみをこめてカロメと呼ばせてほしい。

カロメは僕にカロリーだけでなく、人生の大切な栄養を補給してくれたのだ。

(おわり)

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