
新しく買った消しゴムの「カド」
それは、金やレアメタルに値するほど貴重なものである。
使い切るにはそこそこの労力がいる消しゴムのなかで、4回しか味わえない至福の時間。半年に一度ほどしか訪れない甘美な瞬間。
消しゴムのカドを使うということは、そういうことなのである。
有史以来、人間は消しゴムのカドを求め、時には争って生きてきた。
秦の始皇帝は消しゴムのカドを消す快感を味わい続けるために不老不死を目指したし、フランス革命は消しゴムのカドを独占した貴族階級への不満からはじまったと言われている。
現代でも、「片方のカドだけ使った消しゴムを貸したら、もう片方のカドを使われた許せない」みたいな争いは絶えない。
しかし、この世には消しゴムのカドをなんの躊躇いもなく他人に使わせてくれる人間が存在するのだ。
安易な気持ちで放った言葉。
「消しゴム貸して」
消しゴムを忘れた僕は、安易な気持ちで隣に座っている友達に言い放った。
「いいよ」
そういって彼は消しゴムを貸してくれた。消しゴムを貸してと言われて断る人もまあいないだろう。だが、渡された消しゴムを見た僕は愕然とした。
新品だったのだ。
夢を見てるのか?そう錯覚するほどに真っ白で、汚れを知らない四角形が僕の手の中で燦然と輝いていた。
流石に新品の消しゴムは使えない。せめて片方のカドを使った消しゴムなら、もう削れている方を使えば問題ないし、これまでも何度か経験してきた。でも新品は無理だ。それはもう、罪だ。
「ごめん!やっぱ大丈夫!」
どうしても今消す必要もなかったし、僕は消しゴムを返そうとした。しかし彼は受け取ろうとしない。
「別に気にしないから使っていいよ」
試されているのか?消しゴムを使った瞬間に「俺の新品の消しゴムを使いやがった!!」と叫ばれて、一生犯罪者としてクラスで除け者にされてしまうのではないか?不安が脳裏をよぎる。
「やっぱ返すよ…もし貸してくれるなら、一度使った後で大丈夫だから…!」
「いや、大丈夫!気にしないよ!」
堂々巡りだった。彼も謎に頑固だった。
「いいんだな…ほんとに使うぞ?」
「大丈夫だってば!」
もはやちょっとキレそうだったので消しゴムを構え、書き損じた文字に照準を定める。カドがノートに接地し…その白い体と引き換えに文字を消した。
・・・・・
きれいになったノート。ほんの少し黒くなった消しゴム。
できるだけ優しく擦ってみたが、やはり角は少し削れてしまった。しかし彼は…やはり何も気にしていない様子だった。
カドを使ってない消しゴムを貸せるやつが一番偉い。
あの日、僕が彼と逆の立場だったら、僕は快く消しゴムを貸せただろうか。
消しゴムのカドなんて正味どうでもいいものだ。だけどなんとなくこだわって、最終的に貸すとしても一瞬ためらってしまうかもしれない。
しかし彼は全くためらわなかった。消しゴムのカドを使われることを快く許してくれた。
もちろん彼に全くカドへのこだわりがないのかもしれない。だが、もしかしたら本当は、カドを最初に使いたいと少しは思っていたかもしれない。
それでも何も言わず、笑顔で新品の消しゴムを貸してくれる心意気。
屈託のない笑顔で消しゴムを差し出した彼は、どんな偉い政治家や武将よりも偉かった。真の「偉人」だと僕は感じた。
世の中は争いで溢れている。大人も子供もみんな争っている。
だけど、その争いは些細なこだわりから起こっていることもしばしばある。
みんなが少しだけ、絶対に譲れない部分以外のこだわりをほんの少しだけ捨てることができたなら、世界はちょっと幸せになるかもしれない。
(おわり)