令和になったし元号について調べてみた

元号が令和に代わり、街やテレビ、インターネットでも令和の文字を多く見かけます。

令和にかわる瞬間には、まるで年越しのように集まって騒いでいる人もたくさんいましたし、自分もその一人でしたが、ふと思ったのです。

僕は元号についてそこまで詳しくないのではないか?

というわけで、今回の記事では元号について調べてわかったことを紹介したいと思います。

そもそも元号ってなに?

元号のはじまり

元号が生まれたのは古代中国で、元々は自分の王朝の正統性を示す為に生まれました。紀元前2世紀頃、武帝が統治していた前漢の時代に最初の元号「建元」が創始され、清(1912年滅亡)の時代まで元号という制度が続けられました。中国では基本的に皇帝一人につき一つの元号を使う「一世一元の制」が採用されていました。そして、この中国の制度が東アジア諸国を経て日本へと伝わったのです。

日本における元号のはじまり

東アジア諸国でも元号は使用され、日本ではかの有名な大化の改新(645年)の時に制定された「大化」から元号が使用されるようになりました。当時は民衆にそこまで元号の存在が意識されている訳ではなく、むしろ干支の方が多用されていたようです。

元号が広く使われるようになったのは江戸時代からで、まだこの頃は一世一元の制を採用していなかったため、一人の天皇でも二つ元号を跨いでいる場合がありました。

それが変更されたのが開国後に訪れた明治時代で明治、大正、昭和、平成、令和と天皇一人につき一つの元号が使用されるようになりました。

今現在元号制を採用しているのはどこの国?

西暦だけでなく独自の暦を使っている国は日本以外にあるのでしょうか?調べてみたところ、なんと朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のみでした!

ちなみに北朝鮮では金日成の生年から数えた「主体紀元」という暦を使っているため日本のような天皇一人につき一つの元号を採用する制度は世界中で日本にしかないということです。

改元するのはどんな時?

「大化」から「令和」まで、248個の元号が続いてきました。明治時代以降、改元は天皇陛下が変わった時に行うというルール(一世一元の制)が適用されていますが、それ以前には改元はちょっとした理由で行われることもありました。全部を紹介するのは大変なので、特に変わったものを少し見てみましょう。

美しい滝を見て改元「養老」

現在でも日本の滝百選に登録されている養老の滝は8世紀に元正天皇が訪れた際に名付けられた美しい滝です。元正天皇は美しい滝の姿に感動し、養老と名付けるとともに元号を「養老」に変更しました。エモかったんですね。ちなみに今でも養老の滝は存在しているので、元正天皇が感じたエモみを感じたいあなたはぜひ足を運んでみてください!

蚕が珍しい字を作ったから改元「天平宝字」

養老はなんとなく改元理由がわかる気もしますが、天平宝字はちょっとびっくり。

蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」という文字を作ったから。というのが改元理由なのです。人文字ならぬ蚕文字ということでしょうか。確かに頑張ったら「八」とかはできそう感ありますが…「釋」とか無理じゃないでしょうか…というかこの文字を作れるほどの量の蚕が密集しているの、想像するだけでゾッとします。次に行きましょう。

雲が綺麗だったから改元「神護景雲」

養老に続き綺麗だったシリーズですね!雲がいい感じにエモかったに違いありません。現代でも綺麗な空とか雲をインスタにあげたりしがちですが、きっと昔の人も同じような感情だったのでしょう。過去と現在が地続きであることを感じさせられますね。エモい

これ以外にも、珍しい亀が出現したから、とか珍しい亀が出現したからであったり、珍しい亀が出現したから。など様々な理由で改元が行われています。(本当に亀を理由とした改元は何度もあります。神の使いとされた生き物であることが理由だと思います)

良い令和を!

今回は元号の由来や変わった改元理由を調べてみました。基本的に改元は時の天皇陛下が崩御なさった時にしか行われないため、今回の令和改元のようなお祝いムードの改元は珍しいと言えるでしょう。

「令和」という言葉は「初春にして、ぎ」という万葉集の一文から作られた造語で、令月には「何事をするにもめでたい月」という意味があります。

せっかくお祝いムードで始まった令和時代、あなたも何か新しいことを始めて見るのはいかがでしょうか?

それでは、良い令和時代を!

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